雨といの歴史 雨といのはじまり(奈良時代~)1

※当社独自調べ

雨といの起源は、生活用水を確保するための「上水道」だった?!

わが国の文献に雨といが初登場するのは、
平安時代後期に作られた歴史物語「大鏡」の中の〈花山院家造り〉の一節「あわいに“ひ”をかけて涼し」という記述です。
この文中の“ひ”は“樋”を意味し、
当時の建築様式であった多棟住宅の谷の部分「あわい」に取り付けた「受け樋」であろうと考えられています。
当時の「受け樋」は「懸樋(かけひ)」ともいわれ、雨水を排水する役目よりも、
むしろ飲料水や生活用水として貴重であった雨水を、屋根から水槽に導く「上水道」の役割を果たしていたようです。

現存する最古の排水用雨といは「東大寺三月堂」

現在のように屋根の雨水を排水するという役割の雨といで、わが国に現存する最古のものは、
奈良時代(733年)に建立された東大寺三月堂の木製といだといわれています。
このといは、厚さ約5cmの板3枚をU字型に組み立てたものです。

雨といは「神社仏閣」から普及

雨といは江戸時代まで、神社仏閣を中心に普及してきました。当時の神社仏閣には、
すでに飛鳥時代に中国、朝鮮から伝来した瓦が使われ、雨水を処理する雨といが必要だったと考えられます。
しかし、一般の住宅は「草ぶき」や「かやぶき」がほとんどで、屋根自体が水分を吸収することや、
軒先を作業場として利用する必要から庇(ひさし)を長く張り出して軒を深く取っていたため、雨といの必要がなかったのでしょう。

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